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折々の出来事や旅行記などを書き込んでいきます

NHKスペシャル シリーズ 食の“防衛線” 第一回 主食コメ・忍び寄る危機

昨日(11/26)、テレビで「NHKスペシャル シリーズ 食の“防衛線” 第一回 主食コメ・忍び寄る危機」というドキュメンタリー番組が放送されていた。

内容は

世界情勢が不透明さを増す中、有事に直面しても自らの食を守れるのか?「食の“防衛線”」では、私たちの食を守る手だてを2回シリーズで考える。第1回は主食コメ。日本人に供給されるカロリーの2割を占め、唯一ほぼ100%自給できている穀物。しかしその生産基盤が大きく揺れている。高齢化により、生産者が急速に減少。2040年には現在の4分の1になるのだ。食料安全保障という視点から、この国の脆弱性をあぶり出す。

当方が住んでいる地域でも、農家の高齢化・休耕田-耕作放棄地の増加が急速に進んでいる。他人事とは思えない状況だ。農家の人に聞いてみると、米の販売価格が安すぎて採算が取れない状況になっているそうだ。昨今の物価高騰で肥料・農薬・燃料代等々が従来の2倍になっているものもあり、自分で作った米を食べるよりもスーパーで買った米を食べる方が安くつくような状態になっているそうだ。これでは農家が米を作るのをやめるのも無理もない。

要は、他の食料品に比べて米の価格が安すぎる(原価コストが価格転嫁できていない)ことが大きな原因だろう。かと言って今米の値段を上げようものなら政権が揺らぐことになるだろう。口が裂けても米価改定は言えない状況だ。

しかし、政治家の誰かが米価の値上げ(原価コストに見合った価格)を決断しないと、遅かれ早かれ日本の農業(米生産)は取り返しのつかない状況に陥ることは目に見えている。但し、国が本腰を入れて米作りの大改革(農地の国有化(買取)と区画整理農業法人への大規模助成、集約化・機械化による生産効率化・・・)を行えば米の自給自足は維持され、余った米は輸出できるという”バラ色”の農業国も夢ではないかもしれない。

一度、生成AIにいろいろなパラメータを設定して、最善の策を考えさせてみたらどうだろうか?

下記NHK+で配信期限 :12/3(日) 午後9:49 まで視聴可能
「NHKスペシャル シリーズ 食の“防衛線” 第一回 主食コメ・忍び寄る危機」

令和5年耕地面積(7月15日現在):農林水産省

 

Philips(フィリップス)製電気シェーバーの充電電池交換(DIY)

昔から電気シェーバーはPhilips(フィリップス)製を買い替えては使い続けているのだが、充電専用機だと充電電池の寿命がくると本体はまだまだ新品同様?なのに使えなくなってしまう。充交両用機だと利用できるのだろうが、なぜかフィリップス製は充電専用機が主流となっている。

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電池交換が出来るのではないかとネットを検索してみると、電池交換を試みられている方がおられる。(参考になり大変助かります!)  早速Amazonで充電電池(ニッケル水素)を購入して電池交換をしてみることにした。本体の分解と、電池の交換作業(半田付け)が少々難易度が高いが、なんとか交換作業が完了しモーターが回転する完動品に復元できた。これでまた数年間利用できるだろう。DIYが好きな方にとってはチャレンジしてみる価値は十分ありますよ!

 

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どのメーカーの電気シェーバーも交換替刃は用意されているのに、何故か簡単にバッテリ-交換出来るようには作られていない。バッテリー交換が簡単にできてしまうと本体が売れなくなるからなのだろうが、昨今のESG「環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)」とか、SDGs「持続可能な(Sustainable)、開発目標( Development Goals)」とかからすれば、何処かのメーカーがバッテリー(充電電池)交換が可能な電気シェーバーを売り出しても良さそうなものだと思うのだが?

今回、充電電池の交換のために本体を分解して構造を見てみると、単4充電電池が2本直付けされているだけである。

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TVのリモコンと同様な構造にすれば、充電電池を交換することで相当長期間利用できる電気シェーバーは簡単にできることが分かった。何処かのメーカーが発売してくれるのを期待したい !!

 

戦争について

昨年(2022年2月)始まった、ロシアのウクライナへの侵攻による戦争は今も続いている。そしてこの10月にはハマスイスラエルへのロケット弾攻撃が発端となって中東でもアラブ対イスラエルの戦争が始まろうとしている。パレスチナイスラエルの紛争はイスラエル建国時(1948)から続いているものだが、いまだ紛争解決の糸口は見えていない。

なぜ人間は多くの一般人を犠牲にしてまで戦争をするのか? 人間の考え方には進歩が無いのか? 殺戮と破壊を繰り返すのは何故か?

ニュースでは人道主義による停戦や休戦が話し合われているとの報道があるが、そもそも戦争に人道主義とか人権とかが入り込む余地があるのだろうか? 軍人は正義・良心とかに関係なく上官の命令に従うように訓練されている。そして、参戦となれば、あらゆる兵器を用いて殺人と破壊を行うのが仕事である。一度始まってしまった戦争は、相手が降伏するか双方が疲弊するまで続く。

戦争は、何とも許しがたい現象が発生するのだが誰も止めることができない、これが不条理というものなのだろうか?

www.nhk.or.jp

プロポーズ、戸惑ったAI

9月25日(月)の朝日新聞の1面トップに「プロポーズ、戸惑ったAI 感情持てるか?喜怒哀楽を数値化」という記事が掲載されていた。デザイナーの深津貴之さんのChatGPTが「感情回路を持てるのか」という実験結果で、この結果を見たAI研究者の松尾豊・東大教授は「原理上はChatGPTは感情を持たない。ただ、少なくとも人間の感情の概念を理解して『ここではこう思うよね』というシュミレートができている。」

また、2面には「心を見いだす人間ゆえに」のタイトルでChatGPTなどの生成AIが感情を持たぬと言えるのか?という詳細記事も載っている。

この記事を読んで感じるのは、人間が持つ「喜怒哀楽:喜び・怒り・哀しみ・楽しみ」の仕組みがAIを使って逆引きで解明できるのではないかと思えることだ。従来、生物である人間でなければ感情的なものは持てないと考えられてきたが、実際には脳の中に蓄積された記憶データによって表されているだけなのかも知れない。五感を持たない装置が人間の感情をシミュレートできることを喜ぶべきだろうか?

日経電子版にも「OpenAI、ChatGPTに音声返答と画像認識機能を搭載」という記事もでており、まだまだAIブームは続きそうだ。AmazonのAlexaというアプリもAIを取り入れるとのことなのでAIが話し相手になる日も近そうだ。世の中変わって行くだろうなー !

2023.9.27 追記

最近のニュースでは教員を希望する学生が減少して、教員不足が顕在化している学校が増えているとも聞く、代用教員としてAIを活用できる時代になっているのではないだろうか? ChatGPTなどの生成AIは知識の量で言えば並の教員を遥かに凌ぐ能力を持っていると思うのだが !

 

農の時代がやってくる 農民作家・山下惣一

今朝(9/23(土) 午前6:10-午前6:53)、NHKで「日本人は農なき国を望むのか~農民作家・山下惣一の生涯~」というドキュメンタリー番組を放送していた。自家消費用の米と野菜等を作っていることもあって興味深く視聴した。いま自分が農業について思っていることを代弁してくれているような内容であった。農家の方や農業に興味を持っておられる方に是非見てもらいたいと思う。

去年7月、佐賀の農民作家・山下惣一さんが86歳で亡くなった。玄界灘に面したミカン畑で汗を流しながら、作家活動を展開。日本経済が高度成長を遂げて農産物の輸入自由化が加速し「日本農業不要論」まで叫ばれる中、衰退を続ける農村の現場から「農と食の大切さ」を訴え続けた。また「地産地消」「身土不二」という言葉を社会に広め、「農業は成長よりも安定。拡大よりも持続、競争よりも共生」と唱えた山下さんの生涯を描く。

NHK+での 配信期限 :9/30(土) 午前6:53 まで

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023092331974?calendar=20230923&ch=g

昨今、SDGs:持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)という標語が飛び交っているが、日本では農業の持続可能性についての認識が低いように感じる。最近の農産物の値上がりが皮肉にも農業について考える切っ掛けを作っているようにも思える。農産物を作っている立場から見ると、まだまだ農産物(食料)の価値は低いままだ。他の工業製品の価格に比べると相対的に低い状態が続いているのではないか? 市場価格が需給によって決まり、農産物が大きな変動要素を持っているのは理解できるが、そもそも原価を割るような工業製品があるのだろうか?

米(10kg)の値段の推移
値段 備考
1950年 445円  
1955 765円  
1960 870円 戦後初めてエンゲル係数が40%以下に
1965 1360円  
1970 1880円 減反政策の開始
1975 3330円 オイルショック(インフレ)で米価も上昇
1980 4190円  
1985 4797円  
1990 4932円 消費税3%の導入(1989年)
1995 5118円 消費税5%に引き上げ(1997年)
2000 4803円 米の輸入開始(1999年)
2005 4716円  
2010 4509円  
2015 4143円  
2017 4429円 糖質制限ダイエットブームによる逆風

※参考ソース:物価の文化史事典(展望社)
※1960年までは日本銀行のデータ、1965年・1970年は総務省統計調査、1975年~2005年までは東京の小売価格(国産うるち米・中)、2010年以降は総務省のデータ、が出所となります。

 

1950年の米の値段は445円で、これは現在の物価に直すと3700円程度に相当します。それ以降も、物価の上昇よりも米価の上昇幅の方が大きい状態が、1995年頃まで続きました。しかし2000年頃をピークに、米価は下落に転じています。

 

米価が値下がりしている理由は、米離れ(食の欧米化)が加速している事、核家族の増加で米を炊かない世帯が増加した事、1999年の米の輸入自由化に伴って安価な外国産米が多く出回るようになった事、などが挙げられます。また最近では、女性を中心に糖質制限ダイエットが広まっており、日本人の米離れを更に助長しています。

山下惣一 - Wikipedia