今日の日経新聞デジタルに「文豪没後100年 「森鴎外を生きる」時代に」という記事が載っていた。朝日新聞にも同様な記事「(ひもとく)没後100年・森鴎外 自虐に基づく複雑な笑い 門井慶喜」という記事も載っていた。もう没後100年になるのか? と時の経つのは早いものだなと一縷の感慨を覚えた。
同時代の夏目漱石の著作ほど多くの人に広く読まれていない理由は、下記に書かれているように鴎外は「堅苦しく思われがちだった」のかも知れない。教科書にも載っている「舞姫」で森鴎外という名前を初めて知る人が殆どなのではなかろうか?
かくいう当方も、日本文学全集 森鴎外(1・2)を所持しているが、全部を読み切った記憶はない。今日の記事を読んでみて、鴎外の面白さと奥の深さをまだまだ理解していないなと反省させられた。これを機に、もう一度読み返してみようと思う。
永井荷風、斎藤茂吉、太宰治、石川淳、三島由紀夫……。過去に鴎外を崇拝した作家、詩人は数知れない。しかし、100年たった今、鴎外は仰ぎ見る文豪から、その人間像と作品を身近に引き寄せてとらえ、生き直す作家へと変貌を遂げつつある。堅苦しく思われがちだった鴎外が、我々の中に生き始めるのは、これからといっていい。